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むぎょっていこう

むぎょの日常と遊戯王と腐女子ネタの長文。

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人間の要素は総合的に見つめてみよう 属性そして「失敗」という要素


 むぎょだよ。ゲテモノ要素てんこ盛り。


 むぎょはいくつもの要素でできている。

 列挙すると、

  • オタク
  • 腐女子
  • 大学生
  • デュエリスト
  • 読書好き
  • 内向的
  • マイペース etc.

 無数にある特徴を組み合わせた存在が、一人の人間として存在している。

 この中には、世間というコミュニティに肯定・歓迎されるものと、否定・嫌悪されるものが入り乱れている。
 例えば「女、大学生、読書好き」なんていうのは日の当たる場所でも堂々と主張できる。普遍的で肯定されやすい。
 しかし、「オタク、腐女子、デュエリスト」というのは馴染みもないしよくわからないし、と放っておかれる。未知の領域であるからだ。
「内向的、マイペース」これらの要素にいたってはあまり歓迎されない。他人とよく交流できる外交的な人間、他人に調子を合わせることのできる器用な人間が一般的には求められる。

 

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 しかし、内面の特徴はある程度備わったものである。確かに、快活で活動的で他人に合わせられることが社会に生きるうえで有利になのは明白だ。しかし、要素が変わってしまえばそれは果たして私なのだろうか? 根本から変えられない故の苦肉の策として仮面をかぶっても、容易に看破されてしまう。仮に偽った自分が愛されたとしても、それはあくまで偽った私であり仮面が好まれているにすぎず、社会では多少生きやすくはなるだろうが心がつらい。結局は悪化する。

 自分でも社会に適応できる性格ではないなあとは感じている。部分的に愛されていても少ない要素だけで、普遍的ゆえに代えがきく。そもそも、分解された1パーツだけを見てもそれは私ではない。

 たった1つの美点で他人を全肯定するのはありえないって思ってるし、実際そういう現象は少ないのだけれど、これが汚点となると逆の現象が起きるんだよね。

 1つの失敗ごとに、失うものが大きすぎる。失敗しない人間などどこにもいやしないのに。タイミングによっては進路の可能性が大幅に消えうせたり、上司に人格を否定される恫喝を受けたり、個人情報を特定されて晒されたりもする。

 負けたときのリスクが大きすぎるゆえに、チャレンジができず萎縮してしまう人が多いのではないだろうか。目標が適切であれば、繰り返すことで失敗から成功になるのでは?

「失敗」も個人の大事な要素の1つだ。挑戦を経験した証なのだから、恥じる文化そのものが間違っている。私はこれだけ失敗しましたが結構いいところまでいきました、と表明できる世界なら、その人となりも実力もわかるはずだし。それなのに恥部として覆い隠すことばかり考えるから、結局どういう人間か、どういうものに向いていてどういうものに向いてないのかがわからない。愛せない、受け入れられないという状態に陥る。

 全ての要素、しかも人間のありのままを愛せというのは、はっきりいって無茶にも程があるのは重々承知している。しかし、私たちは1つの要素だけに接近して見つめ続けるのではなく、ある程度総合的に見なければならないと考えている。数え切れない失敗をした人間でも、犯罪者でも、倫理的に理解できない人間であっても、1歩引いて考えてみることが大事なんじゃないかな。優しい世界になるよ。




おわり

 

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 自分を剥き出しにしたい欲求は少なからずみんなあるんだよなあ