むぎょっていこう

むぎょの日常と遊戯王と腐女子ネタの長文。

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優しすぎる人は侮ることを覚えよう


 むぎょだよ。

 今日のテーマは「侮ることを覚えよう」。

 侮るっていうのは、対象を軽んじたり、見下げたり、軽蔑することだ。決して褒められた行いではない。

 しかし、むぎょはあえてこの侮るという行為を推奨してみようと思った。

 もちろん、誰彼構わず「もっとこの世のものを侮ろうよ」と声をかけるわけじゃない。

 一般的に「優しすぎる」「行動できない」「何をするにも躊躇してしまう」「他人の視線を気にしてしまう」……そういう人に対して伝えたいのだ。

 自らが行動的だという自負のある人は、そっとページを閉じてほしい。長所をわざわざ短所に改造してしまうことはない。

 

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 ムクドリは、果たして集団を思いやっているだろうか?

 


 周りを気にしすぎて動けない人は、とっても優しい。常に誰かのことを思いやれる、心が美しい人だとむぎょは思う。どんな人間にも敬意を払える、素晴らしい存在だ。自分も尊重されるべきである存在だともわかっているから、自分以外のことを大切にできる。例えそれが「嫌われたくないから」という後ろ向きな理由でも、実際に誰かを大切にする行動を起こせるのだから充分立派だ。

 しかし、それは不自由に繋がる。

 全人類に対する扱いを慮るというのは誰にもできることではない。しかし、優しい人は(自分の目に見える範囲だけでも)そうしてしまう。せざるを得ないというよりは、気を使うのが当たり前だと信じきっていて、自ら率先して猛烈に配慮する。考えてみれば大げさな話だが、そういう人は実際に存在する。そして優しい人間は全てを平等に敬うから、扱いに差を付けるなんてもってのほか。

 尊重する存在が多すぎるあまり、あらゆる方向に配慮が必要になる。配慮、配慮、平等に、配慮。誰も傷つかない世界。

 誰にでも優しいということは、特別な人が存在しないということ。
 迂回を繰り返した薄い主張で、一体誰の心を動かせるだろうか。
 戦場で武器を捨て拳を降ろすなど自殺行為だ。

 色んな場面で応用がきくけれど、共通するものは一つ。強い言葉だけど……「死んじゃうよ」。

「誰かのために」なんていうのは、実際余裕のある人が使うフレーズだ。たくさんの敬意で疲れきった人間の言葉ではない。

 配慮を重ねてヘトヘトになった人間を助けてくれる存在はあるかも知れないけれど、その存在自体が壊れていたならどうしようもないよね。払った敬意に見返りを求める方が間違いだ。

 確かに、お互いが尊重しあうことは超絶大事。初対面のときなんかは特に重要だよね。

 ただ、他人は良くも悪くもそんなに自分のことを見ていないよ、と。どう考えてもただの悪態を「貴重なご意見」と呼ぶなよ、と。こっちに敬意を払わない人間はもう人間として見なくていいよ、と。むぎょはそう言いたい。

 他人の痛みは触れないだけでいいよ。本人も期待していない。専門家に任せればいい。

 もし誰かが頼ってきたら、余裕のあるときにだけ助ければいい。がんばれないときは無難にかわそう。

 自分よりも他人を優先して死ぬ、そんな瞬間は本当に大事な場面までとっておくべきだ。自分を人間として見てくれない存在のために精神を磨耗させて朽ちるなんて、ばかばかしい。

 よくわからない、理解できないものに捧げる敬意も大切だけど、そこであえて「侮って」みればいい。まずは自分、とにかく自分。こんなに優しい人であれば、本当に敬うべき「タイミング」は見逃さないだろう。無意識に失礼なことをしていないかーなんて、無意識なんだから変えようがないもん。言われたら変えるべき。言われなかったら問題ない。よく無知は罪だとか言われてるけど、それは宇宙規模の広い話であって、どこにも書いてない他人の心を正確に読み取れなんて無茶は聞かなくてよし。

 ムクドリは何かを考えてるわけじゃないのに、たくさんの個体がいつもいっしょにいて、仲良くやれてる。

 人間だって、そんな深く考えずに付き合えるよ、きっと。

 

 

 


 一番いいのは、自分が気兼ねなく振舞うことで、他人もラクに生きられるようになることだよね。






おわり

 

やさしすぎるあなたが、少しずつ自分を出す練習 (Sanctuary books)

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 この記事を見てもダメなら、最終手段としてこの本を。