むぎょっていこう

むぎょの日常と遊戯王と腐女子ネタの長文。

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何故いじめられっ子は黙って学校に通い続けるのか


 むぎょだよ。スクールカーストは低いほうだったよ。

 

 いじめの件数、調査をやり直したら3万件増えた 過去最多に


 調査をやり直せば3万のケースが明るみに出てくる。いじめは一向になくならない。

 少なくとも被害者だけで解決できない問題だからこそいじめが続くのであって、外部からの介入は必須条件だ。しかし、いくら陰湿な行為をされていても周りが気付けないようじゃ話にならない。

 世間の注目が集まり、ようやっと支援体制が整いつつある。学校の配布物などで相談場所の電話番号などが周知され、子供たちも「どう助けを呼べばいいのか」がわかりつつあるのではなかろうか――少なくとも、頭では。



 「被害者が知られたくない」状況においていじめ行為の発見はなかなか難しいところがある。いくら暴力を振るわれていても、身体の痣を隠されてしまえば……一体どれほどの保護者が、我が子の危機を察知できるだろうか?

 自分がいじめられていますと、正直に抵抗なく言える子供はなかなかいないだろうと私は予想している。

 

目次

 

 

沈黙する子供ができる様子


 己がいじめられているという事実を直視することはなかなか難しい。いじめのターゲットにされるぐらいだから大人しく優しいのであろう被害者は、まず自分を責める。過激な行いも単なるじゃれあいなのだろうと、自らを無理やり納得させる。些細なもやもやをそっと押し込めたが最後、徐々に増幅して暴れだす嫌悪感に蓋をしようと躍起になるのだ。

 ここまで来ると、被害者がいじめを認めることが困難になる。いじめられている時点で、既に被害者の尊厳は貶められているのだから、これ以上惨めな気持ちにはなりたくない……そんな気持ちが作用して、親には平気な顔をする。学校では頭の中で現実逃避をしているほうが、よっぽどラクなんだ。




 いじめっ子に負けたくないという意地は、傍から見れば異常でしかない。傷つけられることがわかっているのに学校に行き続ける被害者を、愚かだと一蹴してしまいそうになる。

 しかし被害者本人にとっては大問題なのだ。学校に行かないという選択肢は、すなわち「学校の生徒としての人生を諦める」ことに等しい。ただでさえいじめっ子にプライドをズタズタにされているのだから、屈することは精神の死を意味する。
 憎たらしいあのいじめっ子ごときに、授業を欠席させられたくない。このプライドが損だと気付けるのは、大人になってからだったりする。



 さらに、いくら学校に行かなくていいということを問いても、子供にとっては重大な行動となる。今まで学校に通えていたいい子であればあるほど、学校に通わないという選択肢は取りずらい。学校生活を営むのは、褒められるどころか子供の義務だと大人に教え込まれているからだ。
 広い世界を知らない、学校と家しか知らない子供にとって、通学をやめるという行動はとてつもなく大きなリスクを伴う(ように見える)のだ。

 こうして、ひどく苛められていても黙って学校に通い続ける子供ができる。

 

 

 

いじめを受けても社会的に復帰できるシステムが欲しい

 なんだかんだで、学校というシステムに乗ることが社会生活の前提条件になっている。学校に行かないという選択肢が提示させられていても、就職などその後の人生におけるリスクを考えればやっぱり学校には行かせておきたいという親も多いのでは?

 我が子がいじめられていると知った親の内、すぐさま県外に引っ越す準備ができる家庭はどれくらいいるんだろうね?

 いじめの被害者が死に物狂いで「学校が辛い、転校したい」と呟いて「ウチにはお金がないからダメだ」と一蹴させられたときの、子供の絶望は計り知れないだろう。


 以上の理由もあり、被害者がSOSを出したくても心理的抵抗で声を上げられない状況が生まれている。

 


 そもそも、いじめられた子が転校させられることがまずおかしい。学校で問題を起こした加害者を「追放」する方がよっぽど理に適っているとは思わないか?

 

 

 


 いじめの撲滅には、事件の「認知」が第一歩である。助けを求めやすいシステム作りは、全体的な改善が必要かもしれない。



おわり

 

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「 みんななかよく」とか幻想でしかない