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むぎょっていこう

むぎょの日常と遊戯王と腐女子ネタの長文。

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「悪のアメリカ人」「悪の中国人」じゃあ悪の日本人は? 悪人ってそもそもいるの?


むぎょだよ。

 中島らもさんの「僕にはわからない」を読んだ。

 

  話題は超能力、ホラー映画、悪役、麻薬などアングラな文化ばかりだ。しかし、すっきりとした文体の巧みなエッセイである。大槻ケンヂさんといい、高名なミュージシャンは高名な物書きでもあるのだなあとわずかな嫉妬を燻らせてしまうほどには魅力的な本だった。

 どの話もすべからくおもしろかったのだが、わるものについてのエッセイは少しどきどきしてしまった。映画や実際の事件などを引き合いに出して、悪人というものを語っている。前者はマカロニ・ウエスタンやピカレスクロマン、後者は凄惨な殺人事件や詐欺の案件を紹介して中島らもさんなりに新たな知見を示している。彼の語り口からか、どれも深刻にならない。まあ色んなところをぼやかしたりわざとコミカルに描写していたり、あるいは事件そのものが笑えてきたりするからだろうか。

 フィクションしかりノンフィクションしかり、悪役にも色々なタイプがある。思想犯だったりお金目的だったりという動機の多様さ。そして、悪人自身の背景――民族的なアイデンティティなど。
 創作物によって埋め込まれた悪役外国人のイメージは、そのわかりやすさ故に大勢に浸透した。国ごとにテンプレートな味付けをされたキャラはベタながらも暗黙の了解で一定のクオリティを担保してくれるあたり、実に使い勝手が良い。

「悪の中国人」というキーワードで浮かんでくるイメージとはどんなものだろうか? 衛生管理がずさんな食品会社の社長とかかな。
「悪のアメリカ人」というキーワードで浮かんでくるイメージはどんなものだろうか? ちょっと古い映画で言えば、気軽に拳銃で人を撃ち殺してしまうような人、みたいな?
「悪のイタリア人」は単純明快。マフィアのボスが想起されやすい。
「悪の中東人」だったら宗教テロリストだし。

 では、「悪の日本人」といわれて具体的な像が浮かぶ人がどれくらいいるだろうか?

 


 ワイドショーでは連日陰惨な事件が数多く取り上げられるけれど、「悪の日本人」として代表的な例にあげるとなるとどれも中途半端な気がしてならない。
 当たり前だけど、人はわざわざ自分の国の悪いところをあげつらう大衆作品は作りたくても作れないと思う。客観視が非常に難しいし、わかりやすいように余分な情報をそぎ落とすと「正しくない」と却下されてしまうのだろう。少なくとも日本映画ではテンプレートの蓄積がされておらず、「日本人の悪役を描く上での暗黙の了解」というものも存在しないんじゃない? そもそも売れなさそうだし……よほど勤勉で自罰的な人でない限り、好き好んで自分の悪いところを正視させられる映画なんて見ない。どうせなら楽しい作品が見たいし。

 しかし、「日本人が持ちやすい悪意・悪い因習」と言葉を変えればいくらでも出てくるのが事実だ。

 同調圧力とか空気の読みすぎとか、「日本人の悪いところ! ダサい!」って言われてる特徴はいっくらでも出てくる出てくる。社会的にうんざりした人々が逃げ出してきたインターネットですら出る杭は叩かれるあたり、マジもんの習性なんだなあと悲観的になってしまいそうだ。

 日本で何か悪いことをした人、もしくはしたように見えた人は容赦なく叩かれる。司法の裁きを待つことなく、やり過ぎなまでに攻撃する。各々で濃度の異なる悪意がネットを通じて収束・凝固して鋭い凶器になり、標的を幾重にも串刺しにする。小石を一つ投げても人は死なないけれど、百個の石を代わる代わるぶつけられた人間は死ぬ。

「日本特有の悪人像」が見えないのは、個人プレーではなく集団でよってたかってリンチすることが多いからかもしれない。昔の日本でも「村八分」などがあったように、他の国より共同体の維持を何より重視する国民性なのかもね。

 とまあここまで冷静に分析してきたけれど、ぶっちゃけ私はリアルでそういう悪意を持つ人間を見たことがない。炎上するのはいつもネットでありリアルじゃない。ネットの向こう側に同じ人間がいる実感がない……。汚ならしい罵詈雑言が書き込まれてる場所を見ると、本当にこいつらは人格を持つ人間なのだろうか? ロボットとか、もしくは雇われたサクラなのでは? と陰謀論を疑ってしまう。私の周りにだけいい人や普通の人ばかり集まっているのだろうか。

 もちろん、リアルとネットで様変わりする人間がいることも確か。むぎょ自身、別の場所ではもっとBLとか異種恋愛についてヨダレだらだらで語りまくってるし恥ずかしい短編もいくつか書いてるし、なんなら現在は手書きトレス動画作成中だし(二次創作につきここで発表するつもりはまったくない)。参加するコミュニティにより態度や人格を使い分けることは充分すぎるほど一般的だ。それでも、それでもね……

 私たちの見ている「悪い人」って本当はどこにもいないんじゃない?


 この世は何でもグラデーション。処理しにくいから便宜的に境目を決めてるだけで、本当は性別だって結構あやふやなものだ。(身体の性、性自認、性的志向の三変数がそれぞれ幅のあるエリアを持っている)

 国や民族に限らず、どこかの団体や宗教だって必要に駆られているから存在しているのであって、二人以上の人間で成り立っているのであれば、一くくりに悪者と断定はできない。自分に降り注ぐ災厄ならともかく、他人のために怒ることはもっと知らない他人に怒りを向けることと同じだ。


 物語には絶対の悪者がいたら盛り上がる、だからいる。それだけ。娯楽のために作者から要請された存在だ。
 現実は物語ではない。主人公サイドなんて見方によっていくらでも変わるし、ましてや分かりやすいストーリー性のあるドラマみたいな事件なんてそう容易く起こらない。正義(と思い込む派閥)の反対側はもう一つの正義(と思い込む派閥)。


 悪者の定義は色々あるけれど、仮に「他人の権利を不当に奪い踏みにじる存在」と決めれば、赤ん坊だって悪者だよな。産まれる前から母体に様々な変調をきたし、産まれてからは親の時間と財産を搾り尽くす無垢なる悪魔。誰もが他人に迷惑をかけながら生きていて、それを許せるか否かが犯罪との境目となる。

 ましてやネットで祭り上げられる悪者は、被害者以外に迷惑をかけてもいないのに追い詰められる。「この行為を許容すれば次は私が奪われる」という正義感と私利私欲と恐れがごたまぜになった感情が、行動を煽り罪悪感を薄れさせる。決して誉められたものではない。

 みんな同じ。悪人も善人もない。

 死刑を待つ殺人犯、多くの命を救った偉人、あなた、むぎょ。全てがフラットになる。現世で積んだ徳も変わらないし、全員天国へ行けるし、同じ理不尽に翻弄される。

 そこから何をするか。正しい間違ってる、いい悪いのしがらみから真に解放された人間であるならば、やりたいことがやれるはずだ。周りの迷惑とか世間の目とかを省みずに、全員がしたいことをできるようになる。「周りの和を保つことが何よりの幸せ」という人に全て任せていればいい。
 けれどやっぱり、共同体の維持からは程遠くなる。数代後には人類が滅ぶ羽目にすらなるかもしれない……まあ大した問題じゃない。


 したいことをできない世界なんて、誰も困らないもの。


 悪者然としたセリフと共に、この文を締めることとしよう。




おわり