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むぎょっていこう

むぎょの日常と遊戯王と腐女子ネタの長文。

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気に入らない二次設定が流行する同人世界を生き抜く方法


あるオタクのAが、新しいキャラαにハマった。とても大きなジャンルで、ピクシブにもツイッターにも毎日のように供給があった。Aは供給の多さに感謝しながらαを愛でていた。あまりにも妄想が進みすぎて、時折「このαは原作と離れすぎではないのか」と自問自答する時もあったが、自分なりの解釈として消化していた。
しかしある日、複数のジャンルで名を上げていた同人作家Bが「このキャラがこんな性格だったらおもしろいな」と、もう一つの解釈の元に作品を生み出した。αの性格は、Aの妄想と逆のベクトルでデフォルメがかかっていた。Aは「ちょっと苦手だなあ。私の解釈とは合わないや」と同人作品をスルーした。
ところがその同人作品は、オタク間で大流行した。極端に改変された性格に滲むアクの強さが、多くの人間にウケたのだった。B一人が打ち出した解釈は瞬く間に広まり、同人の中でのαのポジションは確立された。
大いに嘆き悲しんだのがAだ。αにそんなクセはないし、別キャラβに対して特別な好意を持っているわけでもない。ましてや別のキャラγと犬猿の関係であるなんて、原作のどこにも見当たらない。Aにとって、B解釈のαは地雷となってしまった。
月日は経ち、発表されるαメインの作品にはどれもBの解釈が当然のように含まれるようになった。それどころか、オールキャラと銘打たれた作品でも、αはBの解釈の元に描写された。Aの望むαは、同人世界から忽然と消えてしまったのだ。
前のジャンルやオフで繋がった友人たちも次々とB解釈のαの波に飲まれていく。Aは運命を呪いながらブロックボタンを連打していく。
原作のαは好きだ。しかし、同人世界でメジャー解釈にあるαはどうしても好きになることはできない。Aはどうすればよかったのか。

①「その描写は原作とかけ離れているのでやめてください」と各方面に喧嘩を売る
②泣く泣くそのジャンルの同人から手を引く
③己の理想のαをひたすら表現し続ける

①は最悪、②は効果があるときもある、③は厳しい道になるが一番建設的なスタンス。その理由を追記する。

 

 


①を試みた先人は既にいらっしゃる。ツイッター捨て垢を取り気に入らない設定を名指しで取り上げたりね。もれなく炎上して学級会の議題となりあたりは焼け野原。新規も入りづらくなり、巡り巡ってAにも損な状況を引き起こす。ギスギスしたオタクの闇を見ることになるぞ、というかお前自身が闇となっている。

②が懸命な判断になる状況はそこそこあるかもしれない。「公式がファンから設定の逆輸入をする場合」だとか。まだ愛せる公式のαを美しいまま、思い出の中に閉じ込めて時折懐かしむのみという限られた愛で方になってしまうが、精神の健全さを優先するなら決して悪手ではないと思われる。

③の道を進むには相当の覚悟が必要となる。己の解釈を信じ一心不乱に作品を更新し続けるという作業は、地道で長い旅になる。他の選択肢と比べても多大なる労力が必要になる上、成功する保証もない。絵でもマンガでも小説でも、なんなら呟きでもいい、とにかく量を生産して一人でも多く自分の解釈に引きずり込むという執念が大事になる。こっちもこっちで闇かもしれない。時おりわざとB解釈のαを閲覧して、強烈な違和感を創作エネルギーに変換するという手段も聞いたことがある。
人の数だけ解釈はある。例えそれが他人から見て支離滅裂で不快なものだったとして、「内容」に倫理観がなかったとしても、「発表」の倫理観さえ持てば自由なのが同人のよいところだ。



今のところこれくらいしか対策方法が思いつかない。プロフィールに記載するなど単純な予防策は、それを見てくれる人にしか通用しないしなあ(地雷明記はいいが地雷disはやめようね)。
同人の世界は好き嫌いの感情で成り立つ部分が多く、それゆえ心の柔らかいところも刺激しやすい。しかし古来から言われているように、「自分の萌えは誰かの萎え、自分の萎えは誰かの萌え」。己の解釈を振りかざす自由は平等に与えられるものだ。
自分の好きな解釈を思いっきり表現するということは、自分の好きな解釈を持つ作品が一つ増えるということだ。もしかしたらその熱量が誰かに伝わるかもしれない。
諦めるにはまだ早い。あなたのαはどんな子ですか?

 

おわり(私は原作の最終回にキレて同人誌一冊作りました)

 

 

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 オタクの世界にもこういう本が欲しいね?