むぎょっていこう

むぎょの日常と遊戯王と腐女子ネタの長文。

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遊戯王ZEXALでハマった「絶望」の話


鬱展開は中毒性が高い。発生元が穏やかな優しい世界であるほど、そのギャップで残酷さが引き立つ。

トトロが死神で、サツキとメイを連れ去ったという都市伝説。
夢の国に人さらいがまぎれているという都市伝説。
酒の肴にもならないほら話だ。馬鹿馬鹿しいと一笑に付すことは簡単で、だからこそ広まった。
事実の表現方法を変え、もっともらしい証拠を出して、なんならソースは脳内でも構わない。頭を使っているという錯覚の心地よさといったら! 記憶を解凍するたびにディティールは磨耗し、モザイクの中で一度人面を認めてしまえば元の柄がなんであれ人面は人面だ。鮮明さと正確さに無頓着でいられる娯楽。無頓着でいられるからこそ発達した娯楽。

私の絶望中毒が始まったのは、遊戯王ZEXALが終わってからだった。

(最終回までガッツリ本編ネタバレ注意)

 好きなキャラはアストラルといって、主人公とタッグを組んでデュエルをする異世界人だ。

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画像右がアストラルさん。左が主人公の九十九遊馬くん。

 

アニメ開始当初アストラルさんは記憶喪失であり、カードとなって飛び散った彼の記憶を取り戻すために主人公と共にデュエルで戦うというストーリーだった。
主人公とアストラルさんの堅い絆に感動したり、うん、まあ、健全とは言いきれないものの、他の作品と同じように至って普通に萌えたり燃えたりしていた。アストラルさんは総攻めです。


様子がおかしくなってきたのは、物語の鍵となるカードが現れてからだ。その名を「ヌメロン・コード」という。
世界はヌメロン・コードという一枚のカードから始まったという設定(実は二代目遊戯王に言及があり、実に十年ぶりの伏線回収である)。
過去と未来の全てがヌメロン・コードに記述されており、はるか昔にラスボスとアストラルがそれを奪い合って、ラスボスは倒れアストラルの記憶は飛び散りヌメロン・コードはなんとかどこかに封印して、本編は復活したラスボスが再びヌメロン・コードの獲得を目論んだという状況。
要するに、全てを制御するチートアイテム争奪戦に人間界が巻き込まれたという話。
このエピソードが披露されたときは非常にたぎった覚えがある。「アストラルさんめっちゃ強い! やっぱり異世界人はすごいや!」みたいな、まだまともな範囲の感情。

話は前後するが、中ボスとのデュエルについても触れたい。
中ボスは二クール費やして二人のすれ違いを誘発し、信頼関係をぶち壊して最大のピンチを演出した。盤面には弱体化したエースモンスター、手札も魔法罠もなくデッキは残り一枚、それも中ボスに騙されてデッキに入れた悪のカードのみ。
そこで主人公とアストラルはどうしたかというと、取り急ぎ信頼関係の修復をしてフュージョンした。

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こちらがフュージョンした姿である。見慣れてくるとダサさを感じなくなってくる。

 

悪のカードを引いてからカードを書き換え、エースモンスターを新しい切り札に進化させて勝った。
カードの効果を書き換える、という行為は今までなかった。
ピンチを乗り越えるために、以前までは
「好きなタイミングで任意のカードを引ける」(初代から)
「手札を補充するカードを引く」(二代目から)
「白紙から新しいカードを創造する」(三代目から)だけだった。
元々効果のあるカードを上書きするというトンデモも普通にカッコよく見えるから遊戯王はずるい。ちなみに、最新作の五代目アニメではこの書き換え技術を一話から出してきたりする。

以上のエピソードから、アストラルさんの強さに関する株が爆上がりした。人智を軽く飛び越える存在。ホビアニの主人公の隣に並び立つにはこれぐらいのスペックが必要なのかもしれない。

アニメは佳境に入る。人類とラスボスの全面戦争、人間側の準レギュラーたちが次々とデュエルで敗れて死んでいく。クールなライバルに至っては、デュエルに辛勝したものの宇宙服や身体へのダメージが深刻すぎて月面で酸欠死した。名前のあるキャラの死体は二桁に達し、実は敵幹部だった親友およびその同僚たちも最低二回死んでたりする。
死臭漂う戦場で、アストラルさんは「ヌメロン・コードの力があれば全てが元通りだからふんばろう」というニュアンスの言葉を主人公にかけた。しかし、主人公は「書き換えで今までの戦いがなかったことになるのはいかがなものか、今までに得たもので消えてしまうのではないか」と反論した。これを覚えていてほしい。

最終決戦は書き換えの応酬と攻撃力のインフレ(六桁)という実にワクワクしたものだった。もちろん勝利し、ヌメロン・コードは無事にアストラルが引き取った。

それから。

前提としてこの作品はホビアニである。圧倒的に優しい世界である。

全員生き返るという展開は正しい。
最終回は「ラスボスと雑魚怪人以外はアストラルのヌメロン・コードで全員復活、主人公は笑顔を取り戻し、敵幹部も転生して幸せな人生を手にいれました。まだちょっと世界は不安定だけど、みんなで立ち向かえば大丈夫! 俺たちの戦いはこれからも続く!」というお手本のようなハッピーエンド。

あれ? 主人公、書き換え否定派じゃなかったん?
ここが蟻の一穴となる。

 

 


~ここから妄言~

アストラルさんったらもしかして主人公の価値観書き換えちゃった? だって主人公がヌメロン・コードの書き換えについて何の疑問も持ってない! 好意的に解釈すれば「死人を復活させても失うものはなかった」ということだけれども、それでもアストラルさんが書き換えを実行したことには変わりなくて、超絶信頼関係で結ばれていた主人公の意向を無視してまで事実の書き換えを実行したのはどんな理由があるのかな? かな? 人間としての感情、カオスを教えてくれた遊馬くんの価値観を書き換えた今ねえどんな気持ち? やっぱり人類には理解できない系? キャーアストラルさんかっこいー私も書き換えて(迫真)

ラスボスと雑魚怪人が生き返ってない以上、アストラルさんが復活させる命の選定を行ったのかな? 神気取りか? その傲慢さも大好き。
それはそれとして、ヌメロン・コードがある以上未来も過去もアストラルさんの思い通りですね? これから世界はアストラルさんの思うままですね? ディストピアイエーーーーーーー!


~ここまで妄言~

 


シリーズ構成の人が「風呂敷を畳みきれない」って言われてるらしいけど、わざわざ主人公に「書き換えの否定」をさせる狙いはなんだったんだろうか。

他にも全然回収できてない伏線たくさんあるよ! 一期エンディングのラストカットすっげー期待してたのになー?
でもまあ何も言ってくれないおかげで絶望的考察できるんですけどね! あざーす!


もちろん闇雲に妄想しているわけじゃない。自分を騙そうとしても、内なる理性の声をガン無視できるほど狂いきった人間でもない自負はある。ホビアニという子供向けな優しい世界に、上記の妄言のような倫理観ぶっ壊す事実が「あるかもしれない」という可能性だけでよだれが出そうになってるだけ。

私は、どうやら自分が「圧倒的なSF人外パワーで転がされなすすべがなく、通常の価値観を飛び越えた絶望」という状況が好きなのかもという結論を出しました。伝承や伝統に裏打ちされた格式高い霊力ではなく、単純に人類が理解・太刀打ちできない構造をもつものに心惹かれたり。ドラゴンとか、散らばった自我とか。
中二病の延長みたいなものですかね。

 

 

ここから蛇足

ちなみに、現在BSで再放送やってるんですよ。

自分の中のアストラルさんと公式のアストラルの乖離っぷりがヤバイ

別人かよ、みたいな。妄想こじらせすぎて大変なことになってる。


あとこれはマジで個人的な感覚だけど、ライバル及び敵幹部は死んだままのほうが幸せだったかもしれない。
ラスボスに記憶を書き換えられて絶望の中死んでいき、転生するたび不幸になり、さらにライバル中ボスのデュエルでは魂を利用され……もう眠らせてやれよぉ!

 

まとめ


このように、作品のワンシーンに曲解を重ね仮定を積み上げて死にたくなるというルーチンには抗えない魅力があります。

絶望って甘くておいしい!

 

 

 

おわりうしおととらの主役声優は九十九遊馬くんの中の人でもあります。超期待。)

 

 DVD欲しすぎるんだよな。誰か買ってくれ。